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今、仮想的に僕が座っている部屋に雷雨が降っていることになっている。
どういうことかと言えば、ただ単純にヘッドホンでASMR仕様になっている雨の音をずっと聴き続けているだけだ。
具体的にいつ、どこで、誰が、どのようにして、これを録音したのかはわからない。
ただ単純にアマゾンのサブスクリプションでRAINと検索して、弾き出してきたものをただただ聴いているだけだ。
おそらく、よく眠れるためのリラクゼーションとして作られたものだろう。
だが、超小雨になったと思えば、いきなり弩級の雷雨になったり、崖が崩れることが目前に見えるような、土砂降りの雨音になったりと、少し落ち着きがなく思える。
ふと眠りがきそうだと思ったときに、雷が激しくゴロゴロとなるところに差し掛かったら、僕は間違いなく目が覚めてしまうだろう。
だからと言って、リラクゼーション効果がないとは言えない。
確かにこれを聴いて寝るとしたら、僕はおそらく眠れないかもしれない。
だけども、雨が建物や植物や海や川を叩く音は、どれもが多少異なりながらも、心地よさを感じさせてくれるのは事実だからだ。
おそらく、僕は疲れているのだろう。
約1時間で終わるこの雨音をもう、繰り返し3回ほど聴いている。
つまり、3時間弱ずっと雨音を聴きっぱなしというわけだ。
別に僕は雨音マニアだとか、雨音にフェチを感じるだとか、雨音を聞くと感じてしまうなどといったこともない。
むしろ、他に聴きたいロックやらポップスやらジャズやらクラシックやらは、腐るほど存在しているのだ。
いったい、どのくらいの曲が聴けるのかはわからないが、雨音を三時間を聞いてる間にも、世界では新たな曲が生まれ、そしてまた聴くかもしれない音楽が増え続けている。
そう考えると、時間を無為に浪費している僕は、なんだかバカみたいに思えてくるが、そもそもが時間を有用に使うってなんだ?ということが、頭にもたげてくる。
確かに明日も明後日も1週間後も、今僕が聴いているどこで録音されたのかも知らない雨音を聴き続けたとすると、それは馬鹿げているのかもしれない。
いや、それは本当にバカげているのだろうか?
時間を無駄にしているというが、時間を有用に使うとはなんだ?
知識を身に付けることか?
好きな人と一緒に語り合うとことか?
一人で瞑想をして悟りを開くために座禅でも組むことか?
そもそも、こんなこと無為な文章を書くということを今すぐやめることだろうか?
とりあえず、すべてがクソッタレな気分だ。